日々のつれづれ10
続続 裏の大本神書謹解
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'13.01.03

続 裏の大本神書謹解を発表し約1年が経ち、その内容検証を総括する時期となった。既に、
twitterにおいて各々の検証を行ってきたので各論はそちらにゆずるが、結果として神書にあ
る通りのことが起きていると判断した。預言というものは黙示性を帯びる為、浅はかな解釈が
かえって権威を失墜することになるし、検証作業においても、こじつけと思われてしまうことが
あろう。そこで、最低限の充て字と整合作業を用いるだけに留めている。但し、謹解当事者の
実感として、思ったより大難が大分小難になっているという印象を受けたことだけ記しておきた
い。しかるに聖師は晩年、小難が無難になることは最早無いと言われた。それを肝に銘じ、続
篇の謹解を読んでいただきたい。もちろん具体的解釈は読者自身に委ねられる...
師走の空となるなれば 食うに職なく衣服なく 住むに家なし目無し鳥 さまよい歩く姿こそ

実にも哀れと思えども いかにせん術無きままに よろづの神は神集い 天地元祖の皇神に

必死の祈りを致す時 祈りし神の此の心 元祖の神に届きしか 嗚呼夢の間に夢の間に

夢見るうちに夢の国 目覚めて見れば此はいかに 心も変わり世も変わり 姿形も変わり果て

すっかり新つの世となりぬ 後に残るは赤心の 真の身魂の集い来て まこと菩薩か生神か

いづれ劣らぬ魂ぞろい 嗚呼頼もしや神の国 嗚呼夢ならぬ神の国 こうゆうこともある程に

ゆめゆめ油断のならぬ世じゃ 足元注意致すべし
これに先だって別の箇所に、関連する神示が記されてある。時間軸上は上記の直前に来る
のではないかと思うので以下に添えておきたい。
嵐の前の静けさぞ 一夜の嵐が吹いたなら 高く咲いてる花々は 牡丹シャクヤク百合の花

一夜の嵐に消えてゆく その時こそは岩影に 隠れて艱難苦労をば 忍びて咲いたツツジ花

真っ赤に咲いた赤心の 嗚呼麗しのこの華を 慕いて四方の人々が 眺めて楽しむ時は来ぬ


この世は変わるアジサイの 早や七度も近づきて 神の裁きも間のあたり 驚き騒ぐ醜魂の

身の果てこそは憐れなり 身の果てこそは哀れなり 文月の空に立つ雲は

四海の波を吹きまくり 菊月十日となるなれば 闇路に迷う目無鳥 右往左往と逃げ回る

その有様の哀れさよ 神無月の大峠 消える身魂の数知れず 嗚呼恐ろしや 恐ろしや

神の裁きに遭うなれば 朝日に露の消えるごと 醜の身魂は消え失せて 後に残るは水晶の

磨き上げたる身魂なるぞ 光輝くミロクの世 創り上げるは水晶の 珠と磨きし人なるぞ



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