うぶすなQ&A 2
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・神社の拝礼作法について

Q:お参りで2拝2拍手1拝をしますが、どういう意味があるのですか?

A:元来、拍手は喜びのしるしであり日本古来の挨拶法で一般的な尊敬を示していま
した。当然打つ回数によって讃仰の度が高くなります。一方、拝礼は後に定着した外
来の挨拶法です。これらを組み合わせて心から神へ誠意の挨拶と崇敬を表す意味があ
る訳ですが、回数については戦後、全国統一させる目的で形式的に2拝2拍手1拝と
決められたものの為、これに深淵な意味がある訳ではありません。

むしろ、延喜式に見られるように伊勢では8拍手であったり出雲では4拍手であった
り、実は祭神によって方法が違ったのが本来でしょう。それぞれ数霊的な意味を持た
せていたと推測されます。あるいは方位と関連づける説もあります。各流派、各神社
で意味付けが違いますので調べてみられるのも面白いでしょう。(もちろん由緒の古
い神社や教派で。)ちなみに大本祭式では1揖2拝4拍手1拝の後、4拍手1拝1揖
で締めます。

・救世主について

Q:出口王仁三郎氏の遺言として美濃か尾張の国から誠の救世主が現れる云々という
のを聞いたのですが、本当に現れますか?どう思いますか?

A:私見として述べさせていただきましょう。この件については"真洲"の前身紙で
発表したことがあるのですが、出口王仁三郎聖師をニセモノ呼ばわりする者が今だに
後を絶たない傾向は世人を迷わす誤情報の蔓延に原因があり、早急に正しい史実を広
く一般へ伝える必要があります。

そもそも、事の発端は大正十一年の"霊界物語"第十三巻末で「変性女子はニセモノ」
と聖師が著したところにあります。その後、同様の内容が遺言として昭和二十年頃に
も伝えられたといわれます。しかし、昭和十年の校正版では聖師はこの文章に「なぞ
と慢心してござる・・・盲人ばかりがささやけり」と付け加え、完全に内容をくつが
えしているのです。いったい聖師は何故このような奇妙な行動に出たのでしょうか?

私は聖師の直弟子であった木庭次守氏から「校正版こそ最も正しいものであるから間
違えぬように」と念を押されたことがあります。少なくとも終戦後に"霊界物語"を
読む者は校正版を信用すべきでしょう。つまり遺言騒ぎは盲人のささやきであるとい
うことになります。しかしそれだけでは謎が解決しないのも事実です。

まず、校正版で修正が加わった理由ですが、初版本を読んだ当時の信徒がニセモノの
変性女子を聖師の事だと曲解したからだと推察します。ここで変性女子は当時すでに
二人存在したと考えるとうまく説明出来るのです。事実、大本裏神業の奉仕者辻正道
氏が聖師の言葉として、「変性女子は二人ある。一人と思うたら大間違いじゃ。」と
言い残しており、経綸上、変性女子が二役必要であったことになります。そしてその
一役を聖師が貫徹し、もう一役は出口大二氏・出口日出麿氏・岡本天明氏が連なって
勤め上げ、訳あって大二氏・日出麿氏がニセモノの御役をすることになったと考える
と、この件に関して全てのつじつまが合うのです。

結局聖師が本物の変性女子であることは揺るぎません。一つ一つ史実と変性女子の役
割とは何か?を検証考察すれば納得できることなのです。ちなみに「日月神示」が世
に出るきっかけを作った当時、天明氏は美濃に在住していました。さて、こうなると
岡本天明氏とその系譜こそ誠の救世主かと考えがちですが、天明氏が確実に「誠の変
性女子」の御用を全うされ完了したのは氏の存命中「日月聖典」を仕上げた時点で、
残念ながらその後の連続性は確認出来ません。型としての役割上トドメを刺せば以後
につながりが出ないことこそ理にかなっているといえましょう。

もちろん、力のあるリーダーの出現は歴史の必然でもあり、日本列島(美濃と尾張に
限らない)から出現することは出口聖師も予告しております。但しまだ、時期早焦で
す。現段階においては依存的に救世主を待つことよりも各々一人一人が自らの救世主
となるべく自覚を持つことの方が大切ではないかと考えます。
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