最終章 まとめ

淋しき思い出
 昨年の晩秋、久しぶりで北伊勢三保山錦の宮を訪ねた。初めてそこを訪れたのは、もう 何年も前のこと。今程国内の知名度も無く、辻 登美子女史がひっそりとお宮を守っておら れた頃だ。噂をたよりにやっとたどり着けたときの感動こそ大本からプッツリ途絶えた出口 王仁三郎聖師の謎と消息を自分の目と耳で確かめることが出来た喜びであった。あの時、 歓喜の中で祝詞を奏上した北伊勢神業要の神殿、宿泊を許され夜通し神書を読ませてい ただいた辻 正道氏自ら御建造のあの神殿と家は今はもう跡形も無い。大雨による土砂崩 れで倒壊するおそれが出たので北に20m程離れた別の場所に今風の神殿と家を建てて 移った際、取り壊されたのであった。かつて言霊台があったとされる山の頂上も削られ整 地されゴルフ場が広がっている。引っ越しの際、神業実施当時から残されてあった品物資 料等かなりの量が手違いによって焼却処分されてしまったということだった。新しく出来た 神殿の南脇にひっそりと新造されてある正道氏の墓前に手を合わせつつも少し淋しい感じ がした。現在は、登美子女史さえ錦の宮には居られないと聞く。これも御神意というものな のだろうか?

掛け軸と額縁
 かつての錦の宮に伺った時、居間の床の間には正道氏による大日本皇大神の御神号掛 け軸が、その脇には救世主降臨の図を示した額縁が飾られてあった。そのいわれや図の 写しは「継承の道」発行の"龍宮神示"にも掲載されている。御神号については辻氏が書き 損ねた大本御神体の大と本の間に出口聖師が日と書き込んだというのだ。つまるところ雛 型が"大本"から"大日本"へ移行することを示されたのではないかと考えられる。ひょっと すると今や望むと望まざるとにかかわらず日本に居る民はすべからく"大日本"の構成要員 であり、この中でかつての大本の信徒さんが巻き込まれた雛型を拡大しつつ体験実施して いるのではなかろうか?そして、正道氏が幻視し絵にした降臨図は地球の天下危急存防 の際に開始される神軍発起として雛型的に示されたものであるが、その際の総大将は瑞 霊であるという。つまりは出口王仁三郎聖師の本霊が降臨し号令をかけ、霊現和合して三 千世界立替え立直しの最後の総仕上げを行うというのだ。それは大神書"霊界物語"の内 容完結であると言うことも出来るだろう。

世界改造業者王仁三郎聖師
 自らを世界改造業者と名乗り出口ナヲ大本開祖と相まってこれを統括指揮した王仁三郎 聖師は大本を核として大日本や世界へ拡大移行させる世界改造の雛型を打つことを企て た。結果的に大本は聖師の采配によって弾圧され雛型は完成し、これが相似象的に機能 拡大する段となっている。但し、大本内部に"めんどう"な事態が発生した為仕上げの部分 は裏神業として大本外部で実行せざるを得なくなったらしい。(その根拠は”錦の土産”に 詳しく述べられてある。)出口聖師はこの神業の実行部隊を選抜し"生前"秘かに各人へ御
用を言い渡した上、自らは霊身を駆使してこれを統括した足跡がある。これらの途上で伝
達された神書の数々が本稿でまとめた一連の厳瑞二神書群である。雑誌"ムー"1986年
10月号によると王仁三郎聖師は晩年「わしはな、"型"を示しただけじゃ。わしが示してお
いた神界の経綸を解読し、実行する者がやがて現れる。弥勒が現れるのは、そのときじゃ
」と語られたという。それが何時になるのか解らないが、少なくとも本稿で提示した神書群
が総括されていない限り経綸の全貌は見えてこないから弥勒が現れる段階ではないことに
なる。故に、神書群全体の正確な公刊と保存が急務であろう。その上で、雛型の歴史をこ
れに整合させれば経綸の解読、実行は可能である。読者諸氏の中から、原典にあたってこ
れらの統一的解読を進められ、発表し、またこれを実行推進される方々が多く現れむことを 期待する。そしてその実行こそ世界改造事業なのだ。地上天国が到来したら、きっとそこ には産土神道の世界が息づいていることだろう。
                                       
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